GALLERY/illustration-06

2000-2001 drown










 パソコンの中に入っていた一枚。2000年の秋から、2001年の春に描いたものだと思われますが、正確な時期は覚えていません; 終幕の前だったか、後だったか。どちらにせよ、自分なりの「終幕」の受け止め方の一つの形だった覚えがあります。

 私はあまりINORAN氏を描いたことがないのですが、この髪型の絵だけ、この時期何枚も描いていました。
 私は学生時代からその年の最後の日、つまり大晦日に「自分なりの10大ニュース」を毎年記しています。それと同時に、その年「一番」だった人の絵を描いています。その「一番」の既定はまちまちで、一番影響を受けたとか、一番夢中になったとか、とにかく「一番」だった人の絵を毎年残しています。
 昔は大晦日といえばXのライブで年越しをしていましたが、この2000年の年末は「終幕」以来、だれかのライブに行く気分にはなれず、数年ぶりに紅白歌合戦を見ながらの年越しでした。この年の自分のトップニュースはやはり「終幕」で、「一番」の人物は「LUNA SEA」以外ありえなく。
 複数人物を選んだことは、これが初めてでした。「ゆく年くる年」をバックに、順番は覚えていませんが、ちょうど21世紀になる瞬間に描いていたのがINORAN氏でした。その絵を公表する予定はありませんが、私にとっては妙に忘れられない瞬間だったりします。

 INORAN氏というと、自分ではなく、INORANファンだった自分の相方の視点を通した記憶が多いのですが、「INORAN」と聞くと強烈に思い出される場面が二点あります。両方とも東京ドームでのライブのワンシーンでした。言うなれば「時間のギロチン」という場面。
 1回目は1995年の初ドーム「LUNATIC TOKYO」のオープニングの「LOVELESS」。行かれた方や、ビデオをご覧になった方はご存知でしょうが、幕の落ちたあの瞬間こそが「ギロチン」でした。あの真っ白い光の中のINORAN氏を見て、「あ、これまでのLUNA SEAは”終わった”」と、なぜか直感めいたものを感じました。後日、INORAN氏がインタビューで似たような意味のことをおっしゃっていて驚いた記憶がありますが、その「直感」通り、あの年を境に私は「LUNA SEA」を愛せなくなり始めていました。
 2回目は、「終幕」2日目の「TONIGHT」。くだくだしいことは省きますが、私も多分にもれず「終幕」を受け入れられない一人でした。だから周りの観客が大泣きしている中、それでもまだ「あきらめきれない」という想いが強くて。ところがこの曲の間奏、スタジアム中央の花道に出てきたINORAN氏にやはり白いライトが当たった刹那、「今まで、こんな美しいものを見たことがあっただろうか」という想いとともに、「あ、”終わるんだ”」と「思い知らされ」たのでした。本当に走馬灯とは言ったもので、それまでの10年が濁流のように押し寄せてきて、やっとこみ上げる「愛していた」という想いに向き合わされ、それに押し出されるかのように、知らず頬が濡れていました。

 そんな時期に描いた今回の1枚ですが、以後は「MAIL NEWS」の特典の2枚と、今年分の下書き(ごめんなさい。右腕骨折で絵が描けなくなってしまったため、今年からお誕生日メールの中止を余儀なくされています…)以外、一度も「5人」の絵は描いていないです。

 今回は風味を変えて、作文調でお送りしました(爆) 読みづれえ〜〜〜;;
更新 2003.12.05


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